偶像崇拝と十字架

一神教を謳っているユダヤ教、イスラム教、キリスト教等は、
我が神が唯一と、
偶像崇拝を嫌うため神殿に十字架や何もないのが本当である。
 
が、、、、
実際は偶像崇拝と言われても不思議でない、
十字架を首に掛けたり、
神殿、
すなわち教会に十字架を掲げたり、
聖画を飾り拝んでみたりで完全な偶像崇拝の姿である。
 
別に私は偶像崇拝が悪いとは言わない、
全ての人が自然や大切な品物を神殿に祀り拝める事は、
人間の本能であり、

逆に喜ばしい事として褒められることでもある。
 
相手の崇拝する神殿や神像を偶像崇拝等と言って、
破壊することの方が、
神は忌み嫌う。
 
相手の敬い拝む神殿神像に敬意を払うことは、
神は良しとする。
決して神はその事で妬み怒らない。
 
特に神を思い出させる何かを傍に置くことも大切である。
一番分り易いものでお守りがあり、
十字架等も大切である。
今でこそ十字架はキリスト教の象徴であるが、
元々十字架は古代より悪霊など追い払うときや、
神を見出す時も十字架は必要であった。
 
身近に置ける品物としては、
聖なるブレスレットや聖なるネックレス
聖なる十字架は貴方の信仰をも助けてくれる。